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持たざる者の生存戦略

人類最底辺に位置する人間の軌跡

まだ,生きてますよ(今後の方針)

僕は,最底辺として,まだこの世界でもがき続けているので安心してほしい.

 

今日は,幻想と現実と人類についての考察だ.

過去から現在に至るまで我々人類は現実から目を背けることが多かったのではないだろうかと最近思うことが多い.

例えば,風情とか優雅とか美しいとかそういったものは,本当に我々にとって必要なことなのだろうか.100年後,200年後の人類の発展に芸術とか美的な何かはどれほど寄与してくれるのだろうか.

例えば,我々が風情を感じている間にも世界の資源は減っている.世界のどこかで殺される子供達がいる.もし,真に人類の未来(我々の子供達の将来)を考えるのならば,我々,大人は,風情とか優雅とか優美とか芸術とかにうつつを抜かしている時間などないはずだ.

と僕は最近思うようになった.

 

昔は,芸術とか風情とか優雅とか優美とかそういったものに強く惹かれていた.だけども,アドラー心理学にある共同体感覚に関して本気出して考えてみたり,自分にとって決して得意とは言えないサイエンスの分野で色々とやっていると,そんな感想を抱いてしまった.

 

果たして,僕が文学や芸術によって描き出された風情,優雅,優美にうつつを抜かしている間にどれほどの人間が苦しみと絶望の中で死んでいったのだろうか? そして,僕は,くだらないと断じた現実から目をそらすことで,彼らの絶望に間接的にでも関与していたのではないだろうか?

 

現実はくだらないし,人間はもっとくだらない存在かもしれない.だが,僕は,その現実と人間が集まった人類という共同体に存在している.だとすれば,やはり,少しでもくだらないもの達と戦い,100年後,200年後の人類が希望と幸福の中で生きることができるようにするために貢献するべきなんじゃないだろうか.

 

少なくとも,風情とか優雅とか優美とかを感じることではなく,未来の人類の発展どうすれば寄与できるのかを考えることに今よりも時間を使うべきなのではないかと感じた.あるいは,それこそがアドラーのいう共同体への貢献につながるのではないかと思っている.

 

というわけで,今日も,自分が得意としてるわけではないけど,専門的に学んできたサイエンス分野から100年後,200年後の人類と発展について考えている.これからは,自分の専門分野とそこから人類の未来と発展について書いていくのを一つの方針にしたいと思っている.